最上層

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

最上層なる六階の屋根は瓦本葺の入母屋造にて千烏破風を南北に向け棟飾りに銅製の鴟尾即ち鯱を楝に載せ軒先の反り優美にちご棟を附けその下に三柏葉の紋に苦葉の模樣がある鬼瓦ありて千鳥破風の懸魚は鏑懸魚にて上方に六葉あり左右は雲の彫刻にて妻格子の上方に二重懸负となつてゐる。而してこの鱗は寬政四年七月廿六日の大暴風に落ち北方下なる城中橫目の屋根を打貫きたることがある、屋根裏の垂木は疎垂木を漆喰にて盡く塗つてある、頂上六階の外側の四面には三尺一寸幅の外椽を廻らし藩祖一豊の好みの高欄を附け擬寶珠柱を八本用いて淸楚優雅の意匠を凝してある。此の外橡と高欄とは大正十三年に修理したもの である。その內側は四面に幅六寸厚さ七寸角の檜の良質の方柱十二本を等距離に建て廻らし白壁とし室內はニ間四尺四面にて疊を十ニ疊敷くこととし室の西南隅に幅四尺長さ五尺を切貫き昇降ロとしてある。室內の畳より天井迄の高さは八尺三寸ありて天井は格天井の白木造りて天井の下の柱の上部には長押をつけ東西南北の四方に約五尺四寸四角の窻を附けて外より雨戶ニ枚づつを入れてあるか用材は良質の櫸にて内側は善美な黑漆塗であつてその內側には明障子三枚づつ入れて風流に出 來てゐる。用材は外に見ゆる部は檜なるも天井裏の梁は松の良質のものを用い垂木に栂を用いてある。

城の起源

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