太鼓櫓

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

黑鐵門を出でて東南に出づると一 坪の瓦葺にて本丸ニの門をぬけて本丸東南隅の太鼓櫓に達する。この櫓は十五坪ある二階の櫓で明治五年までは存在したが其の後取毀つて今はない。藩祖一豐の營造せし時にはこの櫓にて太鼓を打たせた、寶永ニ年國主が書かせた銘ある诚の圖には入母屋造の瓦本葺の二階の櫓にて千鳥破風となり窓や箭眼が三方にあつて敵を睥睨伏射に便にしてあつたこの櫓も屋根裏も四面の壁も外侧は總て漆喰にて塗り白亞が美觀を呈してゐた、本丸の東南隅に直立しその北側に石垣に沿ひて長く東北に矢倉があつた、明治五年の調書には單に藏としてあるがかくの如き追手門の正面の上に單純な藏がある箬はない。

城の起源

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