尾戸焼

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第三章武家美術時代

第五節美術工芸

此の時代に於ける美術工藝品の今日に傳はれるものは、主として金属製の古鏡、刀剣、鐔、古鏡、鍔ロ、陶器、古代塗等である。これより古鏡を始め前述のものにつき逐次に基きてその特色と構造を述べて見やう。

五、陶器及古代塗

土佐にて陶器の最も名あるものを尾戸燒となす、その由來は承應ニ年大阪高津の陶エ久野正伯藩主山內忠義の招きに應じ來國して起窯せしより始まる。正伯は京都野々村仁淸の門人であつた、仁淸は俗稱を淸兵衛といひ御室仁和寺村に住した、因て仁淸と號して、茶器を作るに長せしを以て正伯はその傳を承け高津にありて久しく陶器の製法を業としつつ研讚したものであるが土佐へ來つて後は江のロ尾戶の小山に窯塲を開き直に製陶に着手し先づ茶入、水指、花生、香爐、皿の類五百餘品を燒きしに竈具不揃の爲め損燒があつた、依て更に竈を改築し改めて諸品を燒き藩主の覽に供し頗るその意に叶ひしかば是より益々その業を進め藩主より將軍家への献上品を製し品質高尙にして雅 致に富み遂に土佐尾戶燒の名は古陶器界に地步を占むるに至つた、而して山崎平內、森田久右衛門の二人藩命を以てその弟子となり元祿以後尾戶に屋敷を賜はつて製陶業を繼ぎ出藍の譽があつて尾戶松柏と稱せられた、文政五年藩命によつてニ家は能茶山に移り製陶を業としたので能茶山燒の稱もある、後何れも廢業して衰頹に歸したが近時中島祐利が森田家の遺業を承けて復興に努めてゐる

美術工芸

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