古代塗

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>美術工芸>>古代塗

第三章武家美術時代

第五節美術工芸

此の時代に於ける美術工藝品の今日に傳はれるものは、主として金属製の古鏡、刀剣、鐔、古鏡、鍔ロ、陶器、古代塗等である。これより古鏡を始め前述のものにつき逐次に基きてその特色と構造を述べて見やう。

五、陶器及古代塗

土佐にありて著名なる漆器を古代塗とす、古代塗は種田豊水の創始せしものである。豊水は實名を光助といひ長門國豐浦郡敎念寺第十一世住職祐賢の五男であつた、幼より繪畫を好み小田海僊の門に入り専ら花鳥を學び十六歳の頃より各地巡遊中尾張國にてー國齋といふ漆工に就き古代支那風の髹漆法を習得して大に得る所があつた、然るに當時其の叔父が土佐高岡郡宇佐村靑龍寺の住職たりしを以て之を慕ひて土佐に來つた、然るに此の際土佐には橋本小霞、德弘薰齋の如き南書名家輩出し日本畫風極めて振はざりしかば遂に高岡郡佐川に移り種田家の養子となり豫て習得したる鬆漆法に自己のエ夫を加へー派を開き漆工を業とし生を送り次で高知に來り人カ車の蒔繪をなしー時豐水蒔繪と稱し世に賞揚せられた、蓋し當時土佐國の人力車は皆其の背面に人物花鳥を描くこと流行せしが豐水の描く所艷麗にして最も衆人の目を惹いた豐水は南畫にて花鳥を能くし明治二十年の前後屢々繪畫展覧會に數回出品して選に入り銅牌褒賞を受けたが明治卅ニ年十月一日七十四歲にて歿し佐川乗臺寺先塋の次に葬つた、豐水の晚年は畫風老熟し自ら豐翁と稱した、門人の有名なるを島内松南、廣瀨東畝となす。髹漆法は明治ニ十年项より小栗正氣、山脇信三その門に入りて傳を受く正氣は豐水歿後ー種の意匠を加へ古代模樣入りの漆器の一派を開き特色ある點に於て颇る盛名を得て各種の博覽會及び共進會に出品して銅賞、銀賞を得てゐる。

美術工芸

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る