土佐美術協会

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第四章庶民美術時代

第一節時代の大勢

庶民美術時代とは德川慶喜が大政奉還し明治大帝が踐祚せられた明治元年より昭和ニ年までの六十年間であつて我國の美術が殆んど奇蹟的なる進步發展を遂げたると共に土佐の美術も空前の發達を なして非常なる革命が行はれた、それは從來の美術なる、建築、彫刻、繪畫、美術エ藝並に書道は總て武家の支配の下にありて彼等は朴訥粗野にして美術を解せず之れを賤しめ美術に才能を有するものありしも研究の機關なく封建制度の爲めに他國修業不自由にてあたら有爲の天才も徒らに尋常彫物師、陶工、工匠の群に投じて墮落するを常とした。然るに當代に入り武家が亡びて士農エ商の階級が撤廢せられ四民平等となり封建鎖國の制度は廢せられて藝術、科學、の砑究が解放せらるるに及んで、鄕土の美術は全く庶民の手に落ちて空前の發展を遂げるに到つたのである。

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而して當代にて政治、實業、軍事の各方面に於て偉才輩出し俊邁豪膽時代に卓絶してをるが更に當國人士は科學藝術の方面に向つても邁進し個人としては夙に大志を抱きて歐米に留學し明治大正の科學及び美術界に盛名を馳せしものが少くないが、鄕土に於ける美術の裝勵と後進誘導の機關としては他府縣に先んじて美術圑体を組織した、それは土佐美術協曾の設立である、それ以前には品評會といふ產業共進會に繪を出品するのであつた、然るに前記の土佐美術協曾は明治ニ十八年頃靑年敎育家の村井正雄が土佐の美術界の頹廢して見るべきものなきを嘆じ時の靑年畫家柳本素石、南部錦溪、河野棹舟等と相謀り土佐美術協曾を起し別役春田を會長として始めて帶屋町三丁目(舊勸工場)今の郵便局の北に於て新古繪畫の展覽會を開きたるが第一固展覽會でその後洋畫に上村、楠永のニ人を加へ每年春季に必ず開會する例となつた、明治三十ニ年頃よりは縣下の美術家の作品のみならず中等學校生徒の圖畫をも陳列し他府縣知名作家の作も加へてあつた、觀鹽者は主として少壯美術家、美術好愛家、及び學生にして開會每に三千人を下らなかつた。

美術工芸

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