栗本城

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高知県四万十市具同

城主は津島勘助で城跡は具同村の四万十川岸にあり。天正三年伊予御庄の領主御庄越前守、法華津の領主法華津播磨守則延ら一条兼定を中村に入らしめんとし兵千七百余を率いて幡多に進攻、宿毛御手洗の城主も二千八百余を率いこれに合流して栗本城に據り敷地相模守と戦ってこれを滅ぼす。奥屋内の領主篠田宗円、津島の領主津島宗雲と共に栗本城を應援し勢侮りがたきものあり、この報に接した元親は久武肥後、同内蔵介、吉田右馬允、同孫三郎、山川五郎左衛門、細川源左衛門、福留隼人、中島與一兵衛、桑名丹後、国吉勘左衛門、野中三郎左衛門を先鋒とし高岡幡多二郡の兵を合して七千三百余を率いて中村に陣し策をもって一兵を損せずして栗本城を陷れ御庄、法華津、篠田や伊予に走り郡中の諸城主みな質を出して親元に降った。そこで芳奈城を十市備後に、宿毛城を長宗我部右衛門太夫に、鍋島城を桑名彌次兵衛に、塩塚城を奥宮織部に、手洗川城を北原平兵衛に、佐賀城を光權之助にそれぞれ賞與し、次の降賞将の舊領安堵を令した。
伊與木城主(伊與木対馬)・山地城主(光富次郎兵衛)・立石城主(立石左京)・口屋内城主(中平壱岐)・湊野川城主(依岡左京)・加持有岡城主(有岡安房)・上長谷城主(武市兵庫)・才津野城主(依岡源兵衛)・平林城主(兼松宇兵衛)・押川城主(押川玄番)・田野川城主(久礼掃部)・柚木城主(敷地官兵衛)・大岐城主(大岐左京進)・下山城主(下山丹後)・和田城主(和田兵衛)・下長谷城主(大塚八木右衛門)・加久見城主(加久見源左衛門)・田野々城主(上山出羽左衛門)・伊予野城主(依岡近江)・柏島城主(三浦及び其の與党)

栗本城

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