豊島沖に於ける海戦

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日清戦役

当時の我が艦隊区分

日清の風雲正に急を告ぐるや、海軍々令部長海軍中将樺山資紀は、明治二十七年七月二十二日連合艦隊の集合地佐世保軍港に到着、伊藤司令長官に重要訓令を傅達した。翌二十三日連合艦隊は朝鮮西岸方面に向って出航した。
当時の艦隊区分は次の如くである。
本隊
第一小隊
(一)松島(連合艦隊司令長官旗艦)(二)千代田(三)高千穂
第二小隊
(四)橋立(五)缺(六)厳島
第一遊撃隊
(一)吉野(常備艦隊司令長官旗艦)(二)秋津洲(三)浪速
第二遊撃隊
(一)葛城(西海艦隊司令長官旗艦)(二)天龍(三)高雄(四)大和
水雷艇隊母艦比叡

豊島沖に於ける海戦

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