豊島沖に於ける海戦

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日清戦役

日清戦争の火蓋切られる

明治二十七年七月二十五日我が遊撃隊は、仁川沖豊島沖に向かったが午前六時半頃豊島方面の海上に二條の煤煙の上るを発見、近くに及んでそれは清國軍艦濟遠及廣乙なることを知った。然るに是等清國軍艦は我が将旗に禮砲を発しないのみでなく、午前七時五十二分彼我の距離三千米に達するや、砲火を開き、ここに日清戦争の火蓋は切って落された。我は直ちに応戦したが、砲戦数分ならずして、濟遠は針路を轉じて西方に逃走し、廣乙は我が隊列に向って突進し、二番艦秋津洲に逼ったが、この時砲煙海霧交々に至って咫尺を辨ぜざるに至った。偶々浪速は廣乙を霧の霽間に至近の距離に認め之を猛撃したので、彼は遂に支へることが出来ず、倉皇として東方海岸に逃走した。

豊島沖に於ける海戦

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