軍艦赤城、西京の奮戦
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日清戦役
坂本赤城艦長の偉勲
赤城艦は僅に六百二十頓の砲艦で、其頓数及び其の構造は当時我軍艦中の最も微力なるものであったので、艦長坂本少佐は清國と開戦前知巳朋友に向い「我れ若し開戦となりし場合、戦地派遣の命に漏るる事あれば、当に自殺すべし、想うに敵艦定遠、鎭遠の如きは、其宏大且つ堅牢なるは東洋無比の稱があるけれども、我能く死を決して之に当り、自ら彼に衝突して艦体を毀損せしめ、其戦闘力を失はしむるを期して居る」と語ったのであった。斯くて大海戦当時、坂本艦長は今こそ我が死力を竭して豫ての志望を達するの時到れりとして奮闘して壮烈なる戦死を遂げたるが、此の歴史的著名なる九月十七日の黄海大開戦に於て、赤城は抜群の勲功を現したのであった。