須賀山 圓明寺
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四国霊場第五十三番札所(新義眞言宗智山派)
須賀山 圓明寺(すがさん えんみょうじ)
御本尊:阿弥陀如来(行基菩薩作と傅ふ)
御詠歌:来迎の 彌陀の光の 圓明寺 てりそふ影は よなよなの月
所在地:愛媛県松山市和気町1-182
縁起:當山は天平正暦年中行基菩薩上表以聞、聖武天皇の叡聽を蒙り和氣の海濱西山尾崎勝岡の邊を相し創建せし寺にして、菩薩自ら無量壽佛の像を刻し七堂伽藍悉く備り甍楹頗る輪奐の美を極めたり。後宗祖大師の巡歴に遭ひ、四國第五十三番の霊跡となる。文永年間言華兼學の國師凝然大徳、當山に掛錫し八宗綱要を著述せし事、該跋文に「文永五戌辰正月二十九日於豫州圓明寺西谷記之」とあるを觀て明らかなり、中古、冠賊、兵燹交々至り、一山殆ど鳥有に歸す、玆に藤姓須賀重久俗名右衛門後祝髪自ら専齊と称する者あり、痛く精藍の頽杞廢亡を嘆き、今の地をトして再興を事とす、敬禮最も努め再来日ならずして堂塔具備壮麗當代に秀するに至る。時恰も寛永十癸酉年なりき、中興第一世重盛阿闍梨第二世尊榮阿闍梨なり、寛永十三年御室宮一品覺深法親王令旨を賜ひて仁和寺の直末に加へられ、須賀山、正智院の賜號あり、蓋し須賀氏再興の因縁に攄るならん、此の年仁和寺心蓮院宥嚴阿闍梨より四度瑜伽兩部灌頂傅法院の血脈を禀けて法流とす。亞で文政九年六月十二日總法務官より、令永兼金剛憧院の御下文あり、變世彌盛りて法燈轉た赫灼たり、霊験亦日に新にして巡拝の面々緇索道俗共に利益を蒙り、盲目人の條に、眼明かに、哀むべき膝行者、忽にして起立行歩の楽しみを得る等、業を轉じ生を潤せし輩甚だ多し。
詞羅伊亞四字合成の風吹かば雲霧霽れて彌陀ぞあらはる、憂き雲はれて心もすがすがし眞如の月も圓明寺
あはれ有緣の貴顯紳士、善男善女、一心誠情彌陀の本願に委せて現當の安楽を願ふ者四時織るが如し。
圓明寺本堂
圓明寺大師堂
圓明寺山門