仁川沖の海戦
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日露戦役
日露開戦劈頭の凱歌
そこで瓜生司令官は、直に諸艦隊をして邀撃の配備につかしめた。時に露艦は檣上高く戦闘旗を掲げ、二艦雁行、月尾島に向ひ徐ろに南下した。我方は浅間を先頭に、諸艦隊これに續行した。この日は天朗かに氣清く、微風僅かに漣波を起すのみであつた。軈て彼我の距離七千米となるや、浅間はワリヤーグに對して轟然砲火を開き、敵は之に應戦した。次で我が諸艦隊砲撃を開始し、巧に浅堆を避け、急潮を馳騁しつつ猛撃したので、敵は遂に支ふる能はず、ワリヤーグは船體著しく左舷に傾き、火焰に包れつつ仁川錨地に遁走し、コレーツまた之に従ふ。浅間は命によつて敵を追撃したが、仁川錨地に近くに及んで発砲を止め、諸艦前後してフイリツプ島附近に假泊した。時に午後一時五十分であつた。午後四時半頃、仁川方面に於いて爆音大地を撼がし、白煙天に漲つたが、これはコレーツの自爆したのであつた。次で汽船ズンガリー亦た自ら爆沈し、ワリヤーグも遂に覆没したので我方は露国仁川支隊を撃滅しつつ開戦劈頭凱歌を擧げたのであつた。