日本海々戦(其の一)
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日露戦役
本圖に見ゆる乗組員
本圖の向って右より。傅聲管に就けるは海軍少尉候補生玉木信助、参謀海軍中佐秋山眞之司令長官東郷平八郎、参謀長海軍少将加藤友三郎、砲術長海軍少佐安保清種、艦長伊地知彦次郎、海軍中尉今村信次郎、中腰にて海圖を案じつつあるは航海長海軍中佐布目満造、階段を上りつつあるは参謀海軍中佐飯田久恒、左端海圖を前に蹲れるは海軍少尉枝原百合一、後方測距儀にて観測しつつあるは海軍中尉長谷川清の諸氏である。而して本圖は東城鉦太郎画伯の苦心になるものであって、丁度伊地知三笠艦長が此時の東郷司令長官を始め各将士が立てる位置を記憶せられ居りたるにより、夫を基礎として構図を作り、三笠艦上の有様は佐世保に赴きて特に乞うて當時の模様通りに準備して写生せるものなれば、帽子、服、ハンモック、双眼鏡等も當時のものを写生し望遠鏡の錆に至る迄一々写生のせるものである。同氏は軍令部の一室にあつて揮毫し此圖一枚に實に八ヵ月を要したのである。然し最初のものは大正十二年の関東大震災に焼失し本圖は其後の再描写のものである。因みに東郷元帥(當時大将)の坐乗せられた旗艦三笠は、日本海海戦を永く記念せんが為めに今日横須賀軍港に繋留せられ、一般に公開せられて當時の奮戦を物語ってゐる。