日本海々戦(其の二)
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日露戦役
全滅せる敵艦隊
曩に全滅せる敵の旅順艦隊は、其後窃かに再戦闘の準備に汲々として太平洋第二艦隊たるバルチツク艦隊は六ヶ月を要し、第二第三艦隊と合してシンガポール沖を通過し、カムラン湾ホンコーへ假泊の後第二第三の兩艦隊の主力は愈々北進の途に上つたので、斬と知った我が東郷艦隊は潜かに彼の行動を深く注意しつつあつたが、果して敵艦隊の一部は上海附近に現はれた。斬くて我旗艦は信濃丸の急報に接して、各方面より猛然として現はれ、敵艦を包圍して猛烈なる十字火を集中し、徹底的に敵艦を撃滅し到る處に敵艦を追撃捕獲し、降らざるものは撃沈した。此海戦に於て敵艦の撃沈されたものは二十隻捕獲五隻、遁走後破壊若しくは沈没せるもの二隻、抑留又は武装解除されたものは六隻であった。因みに日本海海戦畫の筆者東城鉦太郎畫伯の苦心に就いて述べんに、東城畫伯は大本営より派遣される満州丸に乗船、行く行く同乗の海軍幕僚より波の状況、風の状況、大砲、水雷の事など實地について親しく指導を受けたが、日本海海戦後、軍令部の指導と便宣とを受け波の有様、砲丸の水柱の有様等も一々写生を為し、又特に戦場の跡に船を出して沖の島が海戦の場所から、どの位の大きさに見ゆるものなるか親しく写生せしものであつて軍令部の指導は勿論乍ら東城氏の苦心も非常であつた。本圖も最初の分は関東大震災で焼失し其後同氏により再描写されたものである。