噫第六潜水艇

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(明治四十三年)

潜水訓練の為め出動中

時は明治四十三年四月十五日、第一潜水隊中の第六潜水艇は潜水訓練の為め、歴山丸と共に、廣島灣に於て出動中、同日午前新港沖に沈降せしまま、豫定の時間を経過せるも浮き上らぬとの無電が呉鎮守府に急報せられたので、同鎮守府にては直ちに宮島灣に假泊中の第七駆逐艦隊の水無月、菊月、長月、卯月等に命じて現場に赴かしめ、一方呉丸に引上機具を搭載せしめて現場に派遣し百方捜索に力めたる結果、翌十六日の午後三時三十八分に至り、第六潜水艇が新湊装束鼻の南南東約一浬、水深十尋の處に沈没し居るのを發見し、引揚作業の末、十八日午前八時半漸く浅瀬に引揚ぐるを得た。而かも潜水後既に數十時間を経過せる事とて、同艦長佐久間勉大尉を始め、長谷川中尉、原山機関中尉、鈴木機関兵曹、以下下士八名、卒二名、合計十四名の乗組員全員は悉く悲壮な最期を遂げて居つた。

噫第六潜水艇

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