噫第六潜水艇

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(明治四十三年)

死の寸前従容遺言を認む

佐久間艦長は腕を拱きたる儘端座して絶息し、其他の各乗組員等は或は仰臥し、或は安坐せるまま凄絶悲愴の状態を呈してあつた。艇の沈没後、艇長佐久間大尉は将に絶息せんとするに直面し、死の十分前艇内にありて従容迫らず泰然自若として遺言書を認め、事件の眞相、當時の状況を詳述せることは、當人の容易に為す能はざる所、其の言々旬々、悲壮凄烈讀む者の肺腑を鋭く衝き、天晴軍人の龜鑑である。遺言書は次の如くである。

 沈沒ノ原因:瓦素林潜航ノ際過度深入セシ爲メ「スルイスバルブ」ヲ締メントセシモ途中「チエン」キレ依テ手ニテ之レヲシメタルモ後レ後部ニ滿水(セリ)約二十五度ノ傾斜ニテ沈降セリ

 沈沒後ノ状況:一、傾斜約仰角十三度位 二、配電盤ツカリタル爲メ電灯消エ電纜燃エ悪瓦斯ヲ發生呼吸二困難ヲ感ゼリ、十四日午前十時頃沈沒ス、此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム

 一、沈下ト共に「メンタンク」ヲ排水セリ、燈消エゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水シ終レルモノト認ム、電流ハ全ク使用スル能ハズ電液ハ溢ルモ少々、海水ハ入ラズ「クロリン」ガス發生セズ、残氣ハ500磅位ナリ、唯々頼ム所ハ手動ポンプアルミノ(右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
溢入ノ水ニ浸サレ乗員大部衣濕フ寒冷ヲ感ズ、余ハ常ニ潜水艇員ハ沈置細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大膽ニ行動セザレバソノ發展ヲ望ム可カラズ、細心ノ餘リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ、世ノ人此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン、サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確言ス

 一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ、此ノ邊深度ハ十尋位ナレバ正シキモノナラン

 一、潜水艇員ハ士卒抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、カカルトキニ困ル故幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ盡セリ、満足ニ思フ、我レハ幸ニ家ヲ出レバ死ヲ期ス、サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シ中ニアリ(之レ但シ私事ニ關スルコト言フ必要ナシ、田口浅見兄ヨ之ヲ愚父ニ致サレヨ)

噫第六潜水艇

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