我が海軍の地中海遠征

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(世界大戦)

地中海に於る我が海軍の大活躍

敍上の如く我が帝国海軍は、1917年即ち大正六年二月一日を以て獨逸が無制限潜水艦戦を聲明し地中海方面に暴威を逞ふし、爲めに聯合國商船の被害頻出するに至ったので、我が海軍にては特務艦隊司令官海軍少将佐藤皐藏をして明石、駆逐艦隊三隻(後ち出雲を派遣し明石は歸航した又以上の外に駆逐艦二隻及特務艦二隻を併せ引率)を率ゐせしめ地中海方面に派遣した。斯て我が特務艦隊は地中海の一島マルタ島を根據として英國地中海司令長官と協議し聯合國海軍と策應共同して作戦に従事し多大の功績を擧げた。我が此の艦隊の任務が特に困難にして且つ危険であることは言ふまでもない。我が派遣隊が此間に参加して屢々殊功を奏したのであつた。此の地中海海戦に於て奮闘激戦の結果、名誉の戦死を遂げたる日本海軍勇士の遺骸は初め地中海の希臘領なるクリート島に埋葬せられたるが、其後英國領土内に改葬する事となり、其際盛大なる祭典を擧行され日本海軍の根據地であつた地中海の英領マルタ島に日本勇士の英霊は、永しへに眠りつつあるのである。尚當時を偲ぶ日本海軍戦死者の記念碑は今尚巍然として同島に屹立して立居る。

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