上海陸戦隊の奮戦

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(上海事変)

事變の直接導火線

上海に於ける排日運動は由来その根柢深かつたが、満州事變の勃發以來は一層甚だしく、抗日會を始め、學生の反日運動は日に增し激甚を加へ、上海に於ける日支人間の衝突は随處に頻發するに至った。而して支那官民の我國に對する不法行為は、殆んど停止する所を知らさる暴狀を呈した。此時に方つて上海の國民黨機關紙は我帝國に對する不敬記事を掲げたので、在留邦人は大に激昴し、次で邦人の日蓮宗布教僧五名は、理由なくして支那人の爲めに襲撃され、其中三名は死亡し二名は重傷を負った。此等の事件は上海事變の直接導火線となつたのであつた。斬くして情勢は益々險惡を加へ、昭和七年一月ニ十一日我が特務艦能登呂は上海へ急派され、巡洋艦大井第十五駆逐隊及び陸戦隊若干名に出動命令下り呉より上海に急航し、次でニ十六日第一水雷戦隊は急派された。ニ十八日午後十一時十五分我が陸戦隊は北四川路より支那街に入らんとし、突然支那正規兵の爲めに射撃されて遂に應戦し、玆に日支兩軍の戦闘は開始され、戦況益々激化し、我が死傷九十名に達した。ニ十九日我が政府は此事件に關し重要なる聲明書を發し「日本の行動は居留邦人の權益擁護を目的とする自衛手段で何等政治的野心を有するものに非ざる旨」を強調した。

上海陸戦隊の奮戦

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