海陸共同作戦

トップページ高知県の観光戦争と日本日本海軍史海陸共同作戦

(上海事変)

我軍完全に敵陣地を占攄

昭和七年二月ニ十四日、我が砲兵隊は後郭家宅に在る敵の最前線陣地に對して午前五時より猛烈なる砲撃を開始した。我が陸戦隊砲兵隊は此日午前十時より閘北の敵陣地全體に互りて一齊に砲火を浴せ、我が飛行機また協力し陸海共同作戦の下に爆撃を加へた。敵顧祝同の第八十八師の大部隊は、我軍に抵抗の爲め廟行鎭方面の友軍増援に出動し、張學良はフランス側から約七百萬元の新鋭武器弾薬を購入し、部下の将領に對して動員令を下し對日戦備を命じた。翌ニ十五日午前九時より我が海陸共に中央戦線にて、一齊攻撃を開始し、午前十時廟行鎭市街は大火災を起し、敵は續々西方に敗走したるが、我が海陸空軍は之に向って爆撃を加へた。斯くて我軍は午後四時までに、北より南へ普西匠廟、全家墻、前郭家宅を連ねる約0キロの半永久的敵陣地を完全に占據した。此の廟行鎭の戦闘に於て支那軍第八十八師の三千名江灣戦にて三千名は我軍の爲め完全に壊滅したのであつた。

海陸共同作戦

四国の観光へ戻る  高知県の観光へ戻る 
戦争と日本へ戻る 日本海軍史へ戻る