海陸共同作戦
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(上海事変)
我艦隊の偉觀洋上を壓す
是より先、旗艦出雲を初めとし、第0遺外艦隊の安宅以下ニ十五隻、第0戦隊の那智以下の三隻第0水雷戦隊の夕張以下十三隻、第0航空戦隊の加賀以下六隻の艨艟が南支洋上に威風堂々大海を壓するの偉容は實に壯觀極まりなきものであった。加之に陸戦部隊の輸送護衛及び上陸掩護に當つては、其の精鋭は世界に誇る我が0艦隊の活躍顕著なるものがあり、此の大艦隊が一ヶ月有半に互つて潮流強く水路複雑にして航海最も困難とされる揚子江、黄浦江及び馬鞍群馬方面に於いて頻繁なる作戦任務に従事し、加ふるに屢々敵火に全影を曝露して不眠不休の活動を爲したるにも拘らず、一艦一艇をも損ずることなく完全に其任務を果たしたのであった。本圖は支那海上に於ける我が海陸共同作戦の實況にして、精鋭なる我が艦隊の壯觀は目覺しきものがある。呉淞は上海の下流十二哩、黄浦江の揚子江に會流する地點に所在し上海の咽喉を扼する頗る要害の地であるので、此處には非常に堅固は砲臺が築設されてあつた。然るに昭和七年三月三日偶々我が第000駆逐隊が同地沖を航行中、突如砲撃を受けたので、駆逐隊は第0戦隊の協力を得て、直ちに交戦に入り敵を沈黙せしめたが、第0遺外艦隊司令官は、國際交通路上に於いて斯くの如き脅威は帝に帝國のみならず列國に對しても放置すべきにあらずとして之が攻撃占領を決意した。翌四日第0戦隊、第0航空戦隊、能登呂飛行隊並ひに第0水雷戦隊は協力して呉淞砲臺の攻撃に當り、敵に多大の損傷を與へたが、約三千の残敵は尚砲臺附近並びに鐡道桟橋以北の黄浦口岸一帯の堅陣に據りて頑強なる抵抗を續けた。其後約半ヶ月間は前記の各隊を以て連撃不断の攻撃を續け、且つ其の間に於いて我第00團、混成旅團及び横須賀特別陸戦隊等を此の附近に無事上陸せしめた。斯て三月一日に至り上海北方に於ける陸軍の總攻撃效を奏し敵が敗退するに及んで急遽攻略するに決し、陸軍部隊を豫備隊として、第0水雷戦隊の陸戦隊、呉淞支隊、上海陸戦隊の一部及び能登呂飛行隊を以て三月三日未明より總攻撃を開始し、第0水雷戦隊陸戦隊は、先づ地雷を冒して敵の抵抗を排除しつつ邁進し、其日の午前七時三十分江岸の信號竿に軍艦旗を掲揚し、更に進撃して同八時には完全に呉淞砲臺を占領した。是に引續て各部隊も豫定の如く進撃し、午前八時三十分、桟橋を中心とする約千米の地點外に敵を撃退して了つた。