滿洲國江上軍
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(康徳元年編成)
滿洲國の軍事と江上軍
滿洲國軍は皇帝の統率する国家の軍隊であつて統師權の委任を受けた者は治安部大臣であり、元首に對して幕僚長であると同時に、總司令官である。軍隊は日本軍と共同して平時は國内の治安維持、邊境及び江上の警備に當り、有事に際しては國防に任ずる。全兵力は中央直轄軍と地方警備軍たる八個の軍管區、興安軍及び江防艦隊に分つ、直轄軍は主として國防に任じ、警備軍は主として地方治安の粛正に當つて居る。江防艦隊は健國當時舊式艦利綏、利濟、江平、江清、江通の五隻に過ぎなかったが大同二年に大同、利民のニ砲艦及び恩民、恵民普民の三砲艦、康徳元年には砲艦濟民及び砲艦順天養民、康徳二年に砲艦定邊、親任康徳五年新鋭砲艦永順、祥雲定順並に江防艦慶雲を加へ總艦艇十九隻となつた。而して江防艦隊司令部は哈爾賓に置かれ、松花江、黒龍江、鳥蘇里江の警備に任じて居る。康徳四年支那事變に際しては、邊境の治安確保の爲め軍を起こし、又康徳六年(昭和十四年)五月以来の滿蒙國境ノモンハン事件には、日本軍に協力し、幾多の功績を樹て、よく日滿共同防衛の實を示した。けれども現在の募兵制度では應募者は主として貧農の壯丁なるため、一層優秀なる軍隊を編成するには徴兵制度を實施するの外なく、目下該制度の施行準備が進められて居る。