マレー沖海戦

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(大東亜戦争)

英東洋艦隊主力全滅す

帝国海軍は對英米海戦劈頭より英國東洋艦隊、特にその主力艦二隻の動静を注目してをつたのであるが、十二月九日(昭和十六年)午後帝國海軍潜水艦は敵主力艦の出動を發見し、時後帝國海軍航空部隊と緊密なる協力の下に捜索中、同月十日午前十一時半マレー半島東岸クワンタン沖に於いて再びわが潜水艦これを確認せるをもつて、帝國海軍航空部隊は機を逸せずこれに對し勇猛果敢なる攻撃を加へたり。午後二時ニ十九分戦艦レパルスは瞬間にして轟沈し、同時に英國が「不沈戦艦」として誇る所の最新式戦艦プリンス・オブ・ウエールスは、忽ち左に大傾斜し暫時遁走せるもまもなく同二時五十分大爆発を起して遂に沈没した。ここに海戦第三日にして早くも英東洋艦隊主力は全滅するに至ったのである。このマレー沖の海戦といひ、先のハワイ海戦といひ、静かなること林の如きわが帝國海軍が一度動くや、雷霆の震ふが如く、その戦果は世界の戦史にその例を見ざるものといふべく、敵國をして顔色なからしめたのである。このマレー沖海戦に於いてわが受けた損害は飛行機三臺であつたが、敵側はプリンス・オブ・ウエルスの乗組員三千名並にレパルスの乗組員約一千五百名を海底の藻屑と化したのである。

マレー沖海戦

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