大戦後の列車砲②

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次に考慮せられたのはかかる遠距離目標を、如何にして移動式火砲から射撃するかの問題である。これも射撃指揮兵の研究と共に、無電應用の遠隔指揮法が採用せられ、輕量の観測具を持った観測隊が前線において彈着點を観測しながら後方の火砲を指揮し得るやうになり、最近では遠隔の地から火砲を意のままに操縦し得る無線遠隔操縦法も採用せられ、この問題も大體解決したものである。第三に考慮せられた問題は腔壓及び初速を増加するため長大となったこの種火砲砲身を、尚ほ一層大口徑のものを採用し、窮屈な鐡道車両限界内に収容し、荷重に制限ある鐡道軌條上を如何にして運行するかといふことである。このためには従来の各火砲の如く、各部に釣合を保たせ、手力操法を主とせる原則を無視し、如何なる不釣合の部も高壓空気を使用せる平衝機を用ひ、また強大なる動力に依り操縦し得る如くなし、砲身の高さ幅等を車両限界内に縮小し得たのである。

大戦後の列車砲②

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