ロケット研究の状況
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1827年、佛軍では口径十二糎、彈量八〇瓩のものを2700米の距離に到着せしめ得たといふ話であるが、ずっと降って、1924年米國クラーク大學のゴダード教授の發表に依ると、長さ八米の空中魚雷を月の世界へ送り、月世界の表面へ到達すると、發火し、火光を地球から観測しようといふやうなものであるが、その實驗結果については少しも判らない。或いは軍事上秘密保持の見地から、發表を差止められてゐるのかも知れないとの事である。獨逸のオーベル、オーベルト、佛のブァリールなど、いづれもロケットの研究者であり、オーベルは、自動車に黒色薬を塡實した二十本の火薬管を取付け、車體の後に同數の火薬瓦斯噴出口を設け、始動後八秒にして六〇哩の速度を得た。また米のライオン博士は、翼を附した砲弾型のものに気象機械を載せ十二粁まで達せしめる事に成功し、なほこの種實驗を繼續する出である。また米國ミラキュース大學の學生ブルは、橇をロケットに依り時速八〇哩を得、佛のテーリングは、機體の長さ十五フィート、翼の長さ六フィート、噴気管の直径二吋、長さ二フィートの飛行機について實驗し、高さ6000フィートに昇らせ、無事着陸せしめ得たと報ぜられてゐる。かくの如く欧州米國において熱心に研究されてゐるが、總じて観察すると欧州においては學理の研究に、米國においては實驗の促進に、それぞれ特徴を持ってゐるやうに思はれる。