戦車
高知県の観光>戦争と日本>軍艦集>戦場の驚異ー戦車の出現
1916年9月15日は、兵學界に於て劃期的の記念すべき日であつた。欧州大戦も既に三年目の秋、延々として北海まで固められた西武戦線には、蟻の逼ひ出る隙間も無く、砲弾の墻壁と、毒ガスの雲霧と、火焔放射器の赤い舌に阻められて、勇猛果敢な突撃隊も、塹壕を一歩踏み出せば皆殺しとなり、兩軍は只目と睫との間に對峙して、網の目のやうな散兵壕の中に睨み合ひ、根気比べをするより外、施す術もなき有様であつた。恰も此日、ソンム河畔フレールス附近に於いて、英軍が突如として怪異な新兵器―戦車を使用したのである。弾丸雨飛の中を物ともせず、猛進する怪物の數四十九臺、如何に獨軍の心膽を寒からしめたことであらうか。その内の三十二臺は遂に敵陣地に突入して三百人の俘慮を得た。十四臺は不幸敵火のために、陣地前に於いて破壊せられた。爾來戦車は常に戦場の驚異となり、殊に1917年11月アラー・カンブレーの戦、1918年7月ソアツソンの戦、同年8月アミアンの戦などに、英軍の戦車は大規模に用ひられて赫々の偉功を奏し、戦史を飾ってゐる。大戦中を通じて英軍の建造した戦車の總數は二千六百餘臺に及ぶといふ。佛軍に於いても戦車は英軍とは獨立に、計畫が進んでゐた。1917年ジユビニーの戦闘を初陣とし、建造せられた總數は三千四百臺に及び、戦場に活躍したことは英軍のそれに譲らなかった。英戦車の多くが鈍重であつたのに反し、佛軍では輕捷な小型を賞用しルノーのベビー・タンクは殊に猛威を逞うした。他方獨軍では戦車に就いては敵に一歩を譲ったが、平素から涵養せられてゐる工業力は、やがて獨特の戦車を提げて對抗するに至った。即ち英軍戦車の出現に驚かされて大急ぎに計畫を初めたのであるが、1917年5月には獨軍もまた戦車を完成して戦場に送り、敵戦車の威力に心膽寒きドイツ兵の、士気を快復し得せしめたのである。戦車は斯くして戦場に齎された陸上の戦闘艦で、學者、技術家の苦心の結果に成る科學の粹である。