化学戦の歴史①
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化学兵器の威力
一九一五年四月、獨軍は殆ど同時に三回に亙って、窒息瓦斯波を始めて放射した。即ち第一回放射攻撃は一九一五年四月二十二日、午後五時「ビクススコート」と「ランジュマルク」の中間なる「ボエザンジュ」(白耳儀)警戒地区に於て、六キロの正面に亙って行はれた。この波は鹽素瓦斯の濃厚なる帶綠色雲より成り、五〇〇〇の死屍を地に布かしめ、獨軍は一〇〇門以上の火砲を鹵獲し、多数の瓦斯中毒者を捕虜とすることができた。その後二日にして加奈陀軍も同様の攻撃を受けた。