化学戦の歴史②
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化学兵器の威力
また同月末、獨軍は「ワルソー」より六〇キロの處で、同一の瓦斯を用ひて同一の攻撃を行ひ、中毒せる二、〇〇〇の露兵を出した。これ大規模に行はれたる科学的奇襲の嚆矢であつて、當時全世界に一大センセイションを捲き起した。かやうに従来の弓矢、鐵砲、大砲等の外傷的武器の外に、内傷的武器としてこの瓦斯の如く皮膜、呼吸器等の障害に依って、敵を壓倒せんとする思想の出現は、洋の東西を問はず遠く紀元前より既に表れてゐたもので、西暦紀元前四三一年ベロボンネソス戦争中、すでにアテネ人は瀝靑及び硫黄に浸漬した木材より得たる毒煙に依って、包圍者を都市より駆逐した戦史もあり、また西紀後第三世紀セクスッス、ユニウス、アフリカーヌスは水源、水流乃至大気すらも帶毒せしむる方法を述べ、かれはその混合劑中に硫黄、硝石、硫化「アンチモン」、「アスファルト」を使用して、含硫蒸気の急流を生ずべき猛烈なる燃料を作った。