煙幕の歴史
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煙幕
煙幕の淵源は、遠く西暦紀元前に遡る。即ち奮約聖書に依れば「モーゼ」及び「イズラエル」の子孫は、埃及を脱出流浪する時、雲の柱に導かれて曠野を行き、「彼らの停る時雲は彼等の面前を過りて、その背後に蟠り、彼等と追手との間に在り」かくして「モーゼ」は「イズラエル」の子孫に晝の約束を與へ、敵に夜の約束を與へた。この煙幕利用の根本思想は、爾後各國各時代の戦場に表れ、天然または人口煙霧は、勝敗の要因となるに至った。降って1700年、端典王「カール」は巧妙なる煙幕の利用に依って「ドナウ河」の敵前渡河を行ひ、1815年「ウオーターロー」の戦では、硝煙密に戦場を罩め、部隊の行動を隠蔽したるは人口に膾炙するところである。しかし一方黑色藥の發明に依って、戦場をこの黑煙で暗瞑ならしむるに至るや、寧ろ銃砲煙の生成を回避するに全力を注ぎ、終に1890年無煙火薬の發明となり、一時煙幕に對する思想中絶の如き感があつたが、欧州大戦勃発するや、敵の絶大なる火器威力に對し、人工的遮蔽を成形し、もつて夜間の不利を敵に課し、しかも我は晝間の利を得んとするに努め、益々これが利用盛んになつた。