古鏡

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古鏡にはその背面に左記の如き名稱の美術的要素を有してをつて古代の美術工藝を窺ひ文化を探る费重品である。
1、鈕とて鏡背の中心にありて紐を通すどころにて鼻とも云ふ。後世のものは龜を象れり。鈕の周邊の區劃を鈕座とも呼ぶ。
2、內區とて鈕及び鈕座の外にあつて主要なる模樣がある。その模樣は美術的意匠を凝してゐて時代々に特色がある。
3、銘帶とて內區を繞りて文字を表せるところであつて奈良朝以前のものに多く存する。
4、外區とて內區の外にあつて內區に次ぎて主耍なる模樣のあるところである。
5、乳とて內區或は鈕座にある圓錐形の突起である、上古の遺物には乳の周邊ー區を爲して乳座を成せるものがある。
6、帶と圈。大小の同心圓を界線として限られたる所を帶といひ、界線なく模様自身にて圈狀をなせるものを圈とゐつてをる。
7、柄とて鏡を手にて持つ爲めに作りたるものにて後世の鏡に附けてある。
以上の如く鏡の各部分はなつてゐるが是等の諸部は何れも全部皆備はれるに非ず時代によつてはその一部分を缺除し他の部分が存するのでそれが軈て各時代の特色となるのである。土佐には比較的に多くの古鏡が遺されてゐて土佐神社に四十ニ面あり、多鄕村加茂神社に五面・日下小村天神社に ニ面あり、又長岡郡田井村和田次作氏が十ニ面の多數を所持してゐる。そして縣内の各地の經塚や寺院や神社の舊趾より時々掘り出され鑑定に關し議論も出づる事もあるから、我國の古鏡の一般につき稍詳しくその系統につき述べたる後に各地の神社寺院にあるものを具体的に記述して見よう。抑も鏡は神代より存在した、日本書記の神代の處に伊羿諾尊御子を生み給ふ條に「左手に白銅鏡を持ち云々」とある、支那に於ても昔黃帝の時金屬製の鏡を作り神物としたことが古書に見えてをる上古の鏡は銅に錫や鉛や銀を混じて作つたものが大部分で靑銅鏡、白銅鏡、黃銅鏡等に分れてゐて稀に鐵鏡があつたこれ迄我國にて發掘された古鏡には支那製のものが多數あり、殊に推古天皇以のものには漢代のものが多い、又土佐にも支那製の唐鏡や湖州鏡が現存せるを以て支那に於ける鏡の各時代の特色を述べて次に我國の古鏡の特色を述べやう。支那は最も古くより鏡の製造をなし、永き歲月を經過せることとて、其の間に種々の形式を創め、時代の變遷によりて漢鏡、六朝鏡、葡萄鏡、唐鏡、宋鏡 湖州鏡及明淸鏡に區別せられる。

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