漢式時代

トップページ高知県の観光高知県の美術美術工芸>古鏡>漢式時代

第一の漢式時代の鏡は推古天皇以前にて彼我兩朝の交通明記を缺げる時代である、然れども我が健 國の始めより最も早く開けたる支那に對しては其の影響を蒙らざりし理はない筈である、鏡の如き欽明天皇以後佛敎傳來にょり以後に始めて傳はつたのではなぃ。ずつと以前より傳はつたものである。即ち外國ょり傳來した事蹟を案するに「古事記」に新羅の王子天日槍が歸化して日鍺が傳來せし ことが記せられてあり、次に應神天皇の御時に百濟ょり大鏡を貢したと記してあり、更に支那六朝 時代の魏の歷史を書ぃてある魏史の日本傳には「魏の最初ニ年に倭女王(神功皇后を指す)に贈れる 種々の品目中に銅鏡百枚の句がある。これ等の事實ょり兩朝交通ありしこどが明かであり、漢時代 前後の古鏡が日本に傳來したこどが想像せらるる。それで我國の古墳ょり掘り出さるる古鏡が漢式 の古鏡とその特徵にてー致してをるのは偶然でない。而して我國上古にて用ひられし鏡は我國人の 創案創造せしものでなく漢鏡若しくば漢式古鏡の摸倣である。鈴鏡の如きは我國上古特有の鋭なる 如きも紋様は總て漢鏡を全く摸倣したものである。然らば我國の各地にて漢鏡の發掘されし處めり やを尋ぬるに各地ょり發見されてをる。大和からは神人畫像鏡や四神四獸鏡が掘出され、近江から 四神ニ獸鏡が發掘され、尾張、丹波、山城から三神三獣鏡が發見され、肥後と周防から獣首鏡が掘 り出され山城から雙龍鏡が出で周防から四獸鏡が發掘せられてをる。六朝時代は漢式時代の後半期と認めることが出來るが、この時代の鏡も我國の各地ょり掘り出され てをる。

古鏡

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る