徳川時代の彫刻

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第三章武家美術時代

第三節彫刻

1、佛像彫刻は鎌倉時代を一轉期として衰へてこの時代には見るべきものが甚だ少いそして技巧の末に走り寫生に墮した。

2、傳統や師法を徒に墨守して生新の氣分がなかつたが只僅に寬永年間大和生駒の密敎僧湛海が巧麗なる生駒風の機軸を出したに過ぎぬ。

3、この時代は佛像彫刻が尋常丁匠の事に堕し之れに從事せるものの人格技能頗る低く法橋、法眼の位階の如き有名無實となり高尙なる製作の此の徒の手より出でんことは望み難くなつてゐた

當時代に於ける土佐の佛像彫刻は鎌倉時代のものが主となつてゐて桃山時代や德川時代のものは優秀なるものが極めて少い、それで國寶と指定されてゐるのは鎌倉時代のものが主となつてゐる。次に鎌倉時代以後の國寶の佛像を順序に擧ぐることとする。

彫刻

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