鞍打浄貞
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第三章武家美術時代
第三節彫刻
鞍打淨貞はもと大阪の佛師であつた、山內忠義の時に土佐に來り城下の紺屋町に住し鞍打ちを業とした、承應年間に吸江十景の一なる呑海亭を修建する際に命を帶びて欄間彫刻をなしたがその作風は佛師風の彫刻にて後世の諸家の作風と其の趣を異にした、墓は潮江に存し自然石にて鞍打淨貞墓と銘してある、その子孫は當時紺屋町に住し鞍屋と稱した。
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