島村安孝

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第三章武家美術時代

第三節彫刻

島村安孝は通稱を三四郞と呼び武市甚七と相併びて當國人に景仰せらるる名匠である、高知城下九反田の人にして初御抹持人大工に召抱へられ專ら小細工彫刻をなす、當時城内殿中の欄間板扉などの彫刻の安孝の手にならざるものはなかつた、甞て藩主豐資の命により薩摩の島津齋彬へ進物の根付を刻し黑檀材にて黑奴が左手に珊瑚を背負ひ右手に髪を上げる形に模したが巧妙にして頗る賞揚せられた、安孝は美良布神社、三和村濱改田の琴平神社、潮江天滿宮の建築してその非凡の才能を發揮せることはその神社建築の條に詳述してあるが人物の彫刻に潮江天滿宮樓門の素盞鳴尊などの優秀なる作品あれども槪して人物よりも花鳥に長ず、その傑作は高知城下八百八町川崎家の客殿の欄間なる、芦雁の透彫と潮江天滿宮の鳳凰の彫刻である、兩者共に寫實的にして刀法輕妙變化に富み感嘆に價せる絕枝である。明治ニ十三年東京博覧會の時七十餘歲にて一絃琴を彫成し之を出品し賞を受く、安孝多藝にして彫刻の外に茶道、挿花、ー絃琴等何れも之を能くす老後嗣子安度に從ふて束京廣島の各地に客遊す、安度死後土佐に歸り明治三十ニ年八十餘歲を以て高岡郡須崎にて歿した。

彫刻

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