横山守壽

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

橫山守壽は通稱を辨藏といひ竹林齋と號した。城下潮江に住す享保十五年足輕に召出され同年江戶に上り狩野探常の門に入り畫道を學ぶ元文ニ年業成りて探常より守のー字を許されて守壽と稱した、歸國後は拔擢せられて御畫師として銀ニ兩を給はる亨保大火の後に延享ニ年御城二の丸新築成るや命を以て櫻の間の襖繪を畫き賞せられて苗字御免格式組外たるを許された、明和ニ年又步行格に昇進した天明元年病死し實孫彌八郎天保十四年罪あつて祿を歿せられ家斷絕した、その遺作は八百屋川崎源右衛門氏方に鶴龜の三幅對があつたが人に贈つて今はない。

彫刻

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