南畫派の作家中山高陽

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

當國に於ける南畫派の巨匠に中山高陽がある、高陽は通稱阿波屋淸右衛門初め鎌川又は江竹居など號せしが中頃より名象先字廷沖號高陽と稱し晚年に一字子和號松石齋といひ又專ら高陽山人と稱した、其の遠祖は甲斐源氏香宗我部氏に出づ祖先代々香美郡中山田城主にして依て中山氏と稱す曾祖秀長ー度阿波に出で客死す祖父秀勝又土佐に歸る。父勝久の時城東境町に住し降て商家となり阿波屋と稱し唐物骨董を集めて巨店を張り川崎氏を娶り高陽を生んだ。勝之商人に列すと雖も元武士なりー旦志を得ぱ武門に復せん事を希ふた。然るに享保十ニ年藩會して凡そ當國のものー旦商に歸する者再び士に復するを禁ずる事あり是に於て長男元守をして家業を繼がしめ特に高陽をして生涯浪人となし暗に其の志を嗣がしめたと傳へらる。高陽享保ニ年を以て生る、幼にして敏慧にして文事を好み遊戯常に群見と同じからず、長じて自ら文雅に從ひ他を顧みず同友岩井王州、戶部愿山と三人互に交を結んだ。初め儒を鄕里の富永惟安に學び年長じて彼は書を東都の關鳳岡の手本を取寄せて學び畫は南畫の大家鼓城百川の手本を取り寄せて學び皆其の道に通じ又傍ら詩文を嗜み才藝益々顯はれた、寬延元年岩井王州と共に京攝に遊ぶ寶曆三年兄元守亡父勝久の遺志を繼で己が邸地を割て道路を營す、則今の使者屋橋より南に通ずる境町の橫町にして當時阿波屋橫町と稱す、時に高陽ー詩を賦して曰く奉收物外營莵地、開作人間擊穀衢の句があつた、當時高陽の雅名漸く高く阿波屋橫町の邸門日に貴人の槍あらざることなし、寶曆九年高陽四十三歲の時に兼ねての宿願を果して初めて江戶に登り師家鳳岡即ち思恭の家に离す同十一年藩高陽の積年の勤學を賞し終身三人扶持を給ふ、旣にして書は蘇東波、畫は梅道人等に學び 颼逸自ら喜びー派を開き遂に市中に卜居して門に榜して高陽山人といふ書畫を賣り四方の名流と交る才名日に都下に聞ゆ就中井上金峨、澤田東江と交最も厚く每月往來六七回に及ぶ世高陽の畫に金峨の賛を作り東江の之に書するものを三絕と稱して之を珍重した。 明和六年鄕友岩井王州の訃至る高陽慟哭吊詩を賦す英物一朝悲逝者藝林千古失心知の句あり安永元年府下火炎あり高陽が田處町の僑居亦烏有に歸す、句日の後に飃然として奧羽の旅に上り松島鹽籠象潟の諸景を見て其の大觀を恣にす、熱海紀行、登富山紀あり同九年ニ月心疾を發す甥利右衛門秀種江戶に赴き之を迎へて三月十二日家に歸り歿す。享年六十四、城北薊野村福壽院の山中に葬る、井上企峨墓誌を撰し澤田東江之を書す、碑面に題して嗚呼高陽源山人之墓といふ、娶らずして子なし姪秀種を嗣とす遺著に高陽山人詩稿、畫譚鷄助、觀鵞百譚、批考著皆印行す、其の外富士、奥羽、熟海、京攝諸紀行皆寫本を以て行はる。高陽江戶に在りし時は一時に名流と相交はる秋 山玉山、細井平洲、瀧鶴台最も相善しその描きし處は人物山水並びて妙である、書も亦奇姿自ら一家をなし、詩法も亦巧妙にして其の調神品に入る蓋し書、畫、詩の三藝は何れもその長所とする三絕の技にして海內獨步と稱することを得たがその畫風は元、明の極めて健實なる畫法のものあり又沈南頻の風を學びたる寫實的密畫あり、與謝蕪村や池野大雅の作風の如き瓢逸輕妙高踏奇矯なる水墨山水畫あり應擧の作風を偲ばしむる猛虎の圖ありその人物畫は表情頗る巧みにして高陽獨特の筆意によつて現はさるるも水墨山水最も雅致に富む、高陽の遺作は當國內の所々に秘藏せらるるも高知市廿代町入交太藏方に最も多く實に數十幅を藏し力作頗る多し其の主なるものを擧ぐれば左の如くである。八仙人の圖橫物絹本幅四尺、高さ一尺五寸、極彩色の密畫、ー幅、安倍仲麿の圖絹本幅尺五長さ三尺、絹本極彩色の力作ー輻、醉李白月下遊戯の圖絹本幅一尺ニ寸長さ三尺五寸極彩色一輻、飲中八仙之圖極彩色絹本、尺八、高さ一尺ニ寸ー輻、出羽國象潟の寫生圖紙本幅一尺に高さ四尺、水墨山水なり。沈希夷圖、絹本輻ー尺ニ寸、高さ四尺極彩色人物窬一輻、韓退之の書像、絹本、幅一尺 八寸高さ四尺、淡彩色、鶴に竹に岩、絹本、幅ー尺八寸、高さ約四尺、極彩色圖。鐘鸠の_、絹本 幅一尺五寸高さ約四尺、極彩色、秋景山水、紙本、幅、一尺三寸高さ約五尺、構圖頗る整ひ筆致極 めて輕妙山水の代表的傑作、梅花(:鶴の圖、絹本幅ー尺ニ寸、高さ四尺、極彩色圖、松鶴の圖、絹 地幅一尺五寸高さ約四尺、六饀三略張亮の圖、幅一尺高さ紙三尺五寸人物窬、李白醉步の圖、絹本 幅一尺ニ寸高さ約三尺八寸、關羽の窬像、紙本幅、一尺ニ寸、高さ約三尺五寸、極彩色圖、赤壁の 圖、絹本幅ニ尺ニ寸、高さ一尺五寸、極彩色圖。猛虎の圖、絹本、幅一尺ニ寸、高さ四尺、極彩色 察書。尙高陽山人の繪は高知市水通町の傍士龜壽氏が頗る優秀なる水墨淡彩色の山水啬を藏している、川崎源右衛門氏も佳良の作を保存してゐる。

彫刻

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