馬淵鏡川

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

馬淵鏡川は名は好篤通稱は九郎鏡川と號する。其の遠祖は美濃國馬淵村に出づ、依つて以て氏とす嚢祖は遠州掛川にて藩祖に仕へ世に奉仕す、鏡川は親に仕へて孝で畫事に嗜み中山高陽の門に入り其の筆法を學び獲る所あり、兼て古書畫を蒐集し愛玩に耽けり鑑賞に長じ又印刻を能くした、安永天明の頃大目附を勤め弟馬淵庄八操同時に近習目附を勸めた、兄弟並んで藩の重役となる當時以て異数の事とす、その歿せし年月は未詳にて男彌內が家を繼いだ。

彫刻

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