柴田成陽

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

柴田咸陽は名は勝榮字君約通稱は織部といふ。咸陽は其の號である。その遠祖は柴田勝家に出づ天正中遠州掛川にて山內ー豐に仕へ千石を給り後中老職となる、享保年間に加恩ありて家老職に刻し爾後代々家老職を務めて本町に住した、咸陽は天明の初より享保の頃に到るまで奉行を勤め藩政の樞機を掌り後加恩地を給はり退隱し老を養ふた幼少より畫を嗜み江戶にありて楠木雪溪(宗柴石)の門に入り沈南蘋の畫風の南畫を能くし文玫四辛己歲五月十七日に卒した享年七十歲門人に乾鶴臺があつた。

彫刻

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