島本蘭渓

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

岛本蘭溪は字君美名淸江通稱は九十郞と云ふ幼より畫を好み松村蘭台の門に入り大に刻苦したが後上阪して大雅の高弟なる福原五岳に學び自ら一家を成す人物と四君子最も得意であつた、大阪にありては木村簾葭堂と交り殊に深し甞つて奥州に行き沿道の名勝地を悉く畫帖に收む、小佛峠冨土山等の景色畫最も絕妙である。安政ニ年八十の自壽の宴を開きしに雅容雲集し贈る所の詩畫山をなすニ子ありて長男柳五郎、名濤、字萬頃といひ、蘭石と號した、次男馬五郎名漸字雁行といひ小蘭と號した、ニ子共に家傅を受けて畫に長じた、その遺作は川崎源右衛門氏方に惠美須と大黑天の圖が藏せられてゐる。

彫刻

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