屋代大軒

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

屋代大軒はその名を元久といひ通称は太左衛門と呼ぶ、初め大坪右衛門又野々村と称した、家代々馬廻格であつた、城南の山溪に別亭を有す故に乂櫻溪亭と號し書道を以て聞えた、慶安元年父七兵衛吉久の跡目を相續した、寛文七年普請泰行となり同十年增知行五十石を給せられ延寶六年郡方に轉任し天和ニ年に郡方代官を兼任し同年三月上句巡見使に陪し高岡郡津野山中を過ぐる時一老翁より奇筆を授けられ是より書道大に進んだ、大軒は自ら蟠龍筆と名付け其の記を作つた、而して後日その筆を藩府に献じて長く秘藏となつた、藩庫中に當時大軒の筆になる所の迷故三界城の四句の幟は大軒の筆であつた、貞享四年に郡代中戶波鴨地村孝子に與ふる感狀は殊に記録上に傳はつて著名である、元祿七年正月十六日に卒した行年六十五歲門人にて有名なるを馬場一梯となす。

彫刻

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