馬場一梯

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

馬場ー梯は名を源右衛門と呼び別號を雪山といふた、遠祖は甲州馬場氏信より出で幼より書道学問を勵み延寶七年に一度用人格筆役に召抱へられしも元來代々御免許浪人といふを以て抂げて俸禄を奉還し貞享ニ年藩許を受け再び元の浪人に復し總髮にて名をー梯と改め上京し淺見安正に就て儒を學び持明院前大納言基時卿に入門し持明院流の筆法を習ひ遂に其の許可を受け又基時卿執達を以て其の書を天覽に入れ畏くも叡感を給はつた、其の後浅見氏の紹介を以て藝州淺野家に三百石を以て召抱られんとせしも本國より暇出でざるより己むを得ず歸國した、正德元年積年の書道敎育の功勞を以て同年十ニ月廿ニ日留守居組に抜擢せられ五人扶持を給せられた、享保十ニ年八月卒した、其の遺著に居業偶筆があつた寶永ニ年の作にて淺見安正の題言がある、曰く南士馬塲ー梯、蚤藏、志レ 學且好書藝少壯易嶮末甞少舍、完固精詣、自就一家、云々、今年偶來,京師、其徒乞書樣者、甚夥、不遑償塞、率請饅板云々、安正はー代の名僧であつたがこの賛は一梯の榮譽であるー梯六代の裔を馬塲辰猪といひ明治の政客で名があつた、ー梯の書はその柘本が高知圖書舘にあるもと稻毛實が集めたるものにて社寺の額が多い。石立八幡宮額は大師流の筆法にて幅八寸長さニ尺五寸である。又亨保十九年甲寅年三月ニ十ー日の銘ある常通寺の大師堂に揭げられたる大師堂の額は一梯の筆になつてゐるが特に岸本若ー王子社額は最も卓越してゐる、更に宇佐の浦なる八幡宮の額と同宇佐の浦なる若一王子社の額は何れもー梯の筆になつて前者に劣らぬ傑作である。香美郡美良布神社の額字も一梯の書いたものがある。

彫刻

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