下元西州

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

下元西州は高岡郡下分村の鄕土である、名は眞淸通稱は良助高畠東陵の門に入りて書道を習ひ出藍の譽があつた、又和漢の詩歌に通じ须崎に出でて敎授し前後四十年に門人千人に及ぶ、民何れも其の德をたたえ仰いで下元先生といつた、天保元年三月晦日歿す亨年六十六歲、遺著に廣採雜記があるが達見の論說が多い、その內書道門下に有名なるを萬葉集大家飛鳥井雅澄ありその歿後に門人相謀り其の一生の敗筆を収めて之を須崎町西夷堂に埋め筆塚を建てた浪華の篠崎小竹左の銘を選した先生之書、自唐湖普、特慕=右軍、枝與道進、玩字讀文、贈言有訓、勝遊有記、政令有論於戯先生、德藝兼併、宜乎遠近、化及敎成、筆雖或朽、不朽者名、聞名懷實、吾斯作銘。

彫刻

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