高畠東陵

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

高畠東陵は名を衡と云ひ貞雄とも云ふ、通稱は彥平にて東陵、東溪、魯班、鹿明等の諸號がある、 家は代々城下中島町に住し祿三百石を食む、幼より筆道を嗜み長じて後江戶に登り細井廣澤の門人林淳信の門に入り其の許可を受けた、寬政十三年新町櫻井の成るや其の碑文を書した、門人は極めて多い文政七年十二月廿日に七十七歲にて歿した。

彫刻

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