乾拙渓

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

乾拙溪は名を元長と云ひ通稱は九郞兵衛と云ふ、書を寺井養拙に学び能筆であつた、殊に大字に妙である。京都に上り笠原玄番に行書を學び詩をも併せ學んだ、人となり恢達にして權門に諂はず下賤に驍らず脫俗の氣象あり、江戸の國主參勤にて上る時は常に藩主に扈從し東海道本陣の宿札等は其の筆になりしもの多かつた四十餘歲にて亨保十年十月に歿した。

彫刻

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