細木鵞仙

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

細木騖仙は香美郡後免の人にて赤岡に住す、通稱は淳藏名は重得、ー名は篤明、字は子賢といひ養拙又鵞山人、松濤庵、琴月書堂の號がある、江村老泉の門に入り書を學び刻苦數年にて書道大に進む江村氏の長濱の居に通學せる時歸途砂地の渡にて日暮れ藁を積みたる中にて眠りて一夜を明して翌朝直に行きて習ひたりと其勉勵大率此の如し、人となり篤實にして古を好み書道の外俳諧和歌皆善くせざるはなく弟子常に門に雲集す、凡香美郡物部川以東の神社にしてその幟及び額字は大抵其の筆に成らざるはない、其の師老泉死せる時門下の徒其の廢筆數千を雪蹊寺に埋め筆塚となした時箕浦耕雨文を撰し鵞仙が之を書した、其の赤岡に居る時紀貫之の高風を慕ひ宇多松原の故蹟保存を計り藩に乞ふて松苗數千自費にて海濱に植へ又其の監守を名として草堂を松林の中に構へ自ら閑居して之を樂とした、或は昔尾池春水が松原の松枝にて筆を作り千歲管と稱して世に傳ふるに習ひ松原の松煙りて墨を製し千歲墨と稱し稻毛霞村をして松林草堂の書を描き之に題せしめた、慶應元年八月五日八十ニ歲の高齡で歿した。嗣子重樹父の業を繼ぎしも明治五年學制頒布の際に廢塾した。

彫刻

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