島田春溟

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

島田春溟は高知城下材木町に住す、名は恭明字は子溫通稱は隆三郞といふ、父馬助は甲陽と號し書道を善くす、春溟書を父に學び後江戶に上り親し關其寧の門に入り後年自ら趙子昂を學びて折衷する所あり、門人前後七千人に及ぶ性多藝にして戯畫を作り又印刻を善くす、關坊印に門弟七千人の句を刻した、其の七十七の賀宴に友人德永千规祝歌を贈り其の門下の繁盛によせ之を祝して曰く「 敎へ子の數に讀みても君が世は七千あまりの年は經ぬべし』門人に壬生水石あり印法十二刀法を學び後一家を開き其の技海內に冠絕すと稱せらる。水石につきては項を改めて述べることとする。春溟の嗣子貞吉、春暉と號し書を善くし父子三代習字指南として高知城下に其の名があつた。

彫刻

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