島崎大丘

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

島崎大丘は通稱七內といひ城西本丁筋に住し初め浪人なりしも書に巧にて安永六年正月より初めて寺小屋を開き且つ讀書を以て町家及び士格の子女に授けた、人となり溫厚にして敎育極めて懇切であつたから其の名を慕ふて門下に集まる者常に雲集した、藩その功績を賞し寬政十ニ年三月格祿を給せられ留守居組に拔擢された、尋で八代藩主の世子豐熙の習字師範役を命ぜられ連枝諸別家方の指南役をも命ぜられ天保五年病歿した、大丘の子三藏も亦家を繼ぎ其の子利居に至る父子三代御家流の麗筆を以て土佐藩上流書体の指導者となり名望隆然として城下に震ふた、門人柴田敬吉亦其の業に熟達し初塾長となり後獨立してー家の門戶を開いた凡そ島崎家習字の法は初め假名君臣歌を敎へ次に數字その次に書翰短文を敎へニ年目よりは唐詩五絕草書に及び三年目よりは唐詩五七言行草を授けた。

彫刻

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