森田梅礀

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第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

森田梅礀は名居敬字簡夫通稱は良太郎別號紫山樵夫と稱し文政ニ年に生る家代々吏職を務とす幼より敏慧にして學を嗜み殊に詩に妙であつた、天保年間未だ弱冠ならざるに東遊し佐久間象山に經を學び梁川星巖に詩を學び天成の妙あり書は卷菱湖に學びその技に大に進み自ら貫名海屋に次ぐと稱した、梅礀の長所は詩にありて容堂公の知遇を受け慶應元年四月四十七歲にて歿した。

彫刻

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