篆刻家壬生水石

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代三節彫刻>篆刻家壬生水石

第三章武家美術時代

第四節繒畫と書道

壬生水石は篆刻の名家にして經學に長じ詩を善くし書に巧に其の氣韻風流優に海內一流の作家たるに恥ぢなかつた。家は國老柴田家の與カにして通稱は八十郞といひ後に詩磨介といひ雅稱は名は墣字は無名といひ水石又は白髮山樵等の號があつた、幕未の頃京都に印聖なる高芙蓉の門人に三雲仙嘯といふものあり鐵筆を以て世にその名高かりしを以て水石乃ち書を以て敎へを乞ひ其の門に入り自刻の印影を送りて敎を乞ふ、仙嘯之を評して大に激勵せしかば感奮大に斯道を研究し其の印を刻するに當りては努めて妄念雜慮を除き主1、無適、持敬の工夫を凝し興至らざれば苟も刻せず以て其の丹誠を柚で巧技の奥妙を極むるに至つた、斯くしてその篆刻の名天下に聞え四方の名家皆書を送り人を介して印刻を求めた、廣瀬旭莊、大槻盤溪、梁川星嚴、篠崎小竹、小原鐵心、中林竹洞、 僧鐵翁、池五山等その主なるものであつた、水石ー々刻して其の需に應じ甞て五山の爲めにー遊印を刻せしに篆法奇姿で海內無双と稱せられた。梁川星巖は之を羡んで途にて之を奮ふた逸話がある嘉永元年に篠崎小竹が其の印譜に序して水石の性格並にその篆刻を推賞した、甞つて長崎に在りし淸人鐵其炳字は小虎なる者が水石の盛名を聞きて水石のニ大字を隸書し之を寄贈し且つ書を送つて曰く聞兄精鉄筆予所慕憐也云々と晚年に及び故ありて高知城北久方に謫居してゐた、山內容堂甞て越前春岳より贈ちれたる李白醉眠の紐像ある印材を水石に命じて篆刻せしめたるに水石は身の貶謫の際にありて印道信心の法に背くを以て之を謝した、候命じて之を宥し其の業に從はしめしに水石即ち錦囊を作り恭しく印材を盛り起臥首に掛け座上に置かず已にして刻成り之を獻す、篆法奇古頗る旨に叶ふ公喜で日く詩磨介は今にして日本三癖人の一人となれりと時に侍者問ふて日く三癖人は誰々なりやと公の日く余と山陽と詩磨介なりと、水石聞いて深く其の知遇に感じ是より又一 に三癖老人と號した、水石印刻の外書法に精しく又古鏡、硯等の古物を鑑し奇品の收藏をなす、又畫を善くし茶道、詩賦等の風流の諸藝ーとして通ぜざるなく明治四年十二月二十四日八十ニ歲にて 歿した、門人數多ありて桐間將監、尾崎學古齋二人最も秀で橋本小霞、堀內小橋、武藤鵬臺、今井風山、淺川石帆等何れも其の門に遊びしものであつた。

彫刻

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る