絵画と書道

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當代に於ける絵画の著名なるもの殆んど現存せず、佐川町乗臺寺に巨勢金岡の筆と稱する不動尊の軸があるけれどもこの佛畫は絹地頗る新しく描写の手法も金岡の特色を有してをらぬ。幡多郡平田村延光寺に巨勢金岡の筆と唱ふる笑不動の軸がある。金岡は清和天皇以来醍醐天皇まで五朝に仕へて光仁、宇多兩帝に召され紫宸殿の賢聖障子の絵を描き更に清涼殿並に仁和寺に馬の絵を描きて妙手と呼ばれし名家なれども遺作はない。延光寺の佛畫も寺傳として傳へられしものにして後世の作なりといふが信に近い。當國には空海の筆と稱する佛畫が多数あるけれども多くは後世の模倣によれる作品であるから省略する。青龍寺にある空海筆不動明王畫像は寺賓として長く保存せられたもので、幅二尺餘長さ五尺餘の大軸物で中央に火焰に包まれた不動が劔を持ちて座し左右に童子が侍してをる。可良の作品である上に随分古色を帯び大部分剝脱して不明の部分が多いが果して空海の筆になりしものか正確なる文献の徴すべきものがないのは遺憾である。書道の方面には珍らしくも幡多郡足摺岬の金剛副寺の寺寶にて最も貴重なる嵯峨天皇御宸筆なる補陀落東門と五字を書せる勅願がある。幅約一尺高さ三尺五寸の額にて約一千百餘年間風雨に曝されし爲め板の目現はれ破れ目を生じ墨痕の部分のみ浮彫の如く高く現はれてゐる、書体は行書になつてゐるが、その筆意は普、唐の筆意殊に欧陽詢の書風より得たる独特のものにして、筆勢雄渾奔放自由にして神韻躍動してゐる。果たして眞筆なりやに付きて疑ふものがあるかも知れないが書の出来栄より見れば筆致卓絶し雄大臺放高雅にして無限の深趣を有し絶世の傑作たることを失はぬ。我國の書道は奈良朝までは唐様の書法のみなりしが平安朝に入り弘法大師が書を唐の韓方明に學びて歸り大師流なる和風の書法を創始して嵯峨天皇に傅へ、天皇は之れを小野篁に授け、そして紀夏井を經て紀貫之に及んでゐる。嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢と共に日本三筆の一人にて其の流をくみしものに小野道風、藤原佐理等の日本書道の三蹟があるので、我國の書道史上に貢献せし効頗る大である而して尚その詳細につきては後章書道の條に記してある。

弘法大師筆金剛頂寺蔵 紀貫之の筆松山寺額 小道風筆小村天神社額

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