第三章武家美術時代②

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第一節時代の大勢

武家美術時代とは後鳥羽天皇の建久三年源賴朝が幕府を鎌倉に開きてょり孝明天皇の慶長三年に德川慶喜が大政を奉還するまでの約六百七十五年間で、此の問は鎌倉時代、室町時代、桃山時代、德川時代の四期を包括して居る。この時代は我國の政治史に於ては勿論、文化史にも宗敎史にも美術史にもー大變動の起った時期である。即ち藤原氏も平家も貴族主義であったに反して源氏も北條氏も豊臣氏も德川氏も武家主義であった、而して前時代は印度風並に唐風を同化して日本美術を發揚せし時代であつたが此の時代は宋と元と明との風を摸倣した時代である。そして佛敎の方面ょりは 從來の眞言宗淨土宗の外に禪宗が遣明使にょりて日本に傳へられ禪宗の寺院が各地に建てらるるに到り國民の思想も趣味も非常に變化した土佐に於ては禪寺として五台山に吸江寺が建てられた。鎌倉時代に土佐に於て佛敎衰へず佛像の奉納が多かったので此の時代の銘ある佛像が比較的に多い、雪蹊寺にある湛慶の作の如きはその代表的のものであり、十市村禪師峯寺にある定明作仁王像、安藝郡室戶町金剛頂寺にある定審作板彫眞言八祖像は著名なるものである。僧空海以後土佐の佛敎並に美術に貢献せし高僧を夢窻國師、義堂、湘南、日讃、月峰、空鏡、如珊 となし。武將にありては長曾我部元親並びに山內忠義となす。夢寬國師は名は疎石といひ伊勢に生る。年少ょり佛門に入り正應五年奈良にて戒を受け、後鎌倉に行き廣長寺、圓覺寺、東勝寺等にて名僧につき修道大に進む、後諸國に修法し寺塔を建て文保元年京の北山にありしが二年土佐に逃れ來り五台山に吸江庵を開基す、國師は吸江の勝景を愛で十景の名を附す、當時五台山吸江庵の名は明國にまで聞えた、後京師に歸り觀應二年八月七十七歲にて寂した。義堂は土佐高岡郡津野山に生る。幼にして奇穎十四歲にして一族中に橫死するものあり、これょり人生の無常に感じ出家し十五歲にして叡山に登りて受戒し土佐に歸り新福寺の道圓阿闇梨に密敎の敎を受けた、曆應四年上京して夢蒽國師に謁し法衣を受け禪儀を修めた。康永元年元に渡らんとして果さず。文和元年天龍寺幹事となり、土佐に歸り吸江庵に居る。翌年土佐津野山出身にして法弟なる 絕海と共に建仁寺に入り龍山の敎を受け延文三年土佐に歸り再び吸江庵に居る、後又出でで諸國に 說法し足利義滿の知遇を受く、嘉慶二年病を得て有馬溫泉に浴す、その癒えざるを知り自ら銘を作り龕を造り居ること月餘にして歸る法弟絕海之を途に迎ふ。乃ち絕海に遺言し遂に慈氏院にて六十四歲にて寂した。湘南は山內氏入封の後承應元年に吸江庵に入り之れを中興し名を改めて吸江寺とし山內氏治世中寺領、莊圍を寄附するに到り寺堂の美觀を極め寺寶も多きを加ふるに到つた、釋日讃は常陸の人、天台の奥義を極め後日蓮宗に轉ず、天正十八年遠州掛川にて始めて山內一豊に謁し護持僧となり、土佐に下り潮江衬龍乘院を開基した。慶長十ー年德川家康江戶城を改築するや地鎭祭の僧となり元和元年大阪夏の陣に選ばれて和議の使僧となり城中に入り眞田幸村と對談中銃彈飛來するも從容自若たり、寬永八年十一月寂した、高知市比島龍乘院に所藏する日讃上人の畫像は上人を偲ぶに足る、月峰は雪蹊寺中興の名僧である。雪蹊寺は元眞言宗高福寺と稱す、後一旦高福山慶雲寺と改めしが永祿の頃長曾我部元親臨濟宗に更む、天正年中元親浦戶城に移り城下唯一の名伽藍たりししが元親卒するや當寺を菩提寺となし木像を安置し位牌を立て法號によりて寺號を改めて高 福山雪蹊寺と稱し月峰をして住職とした。同寺には月峰上人の木像が寺寶として保存せられてをる空鏡上人は五台山竹林寺が貞和年間より荒廢に及び應仁、文明年間甚だ衰頹せしを再興し高知の舊名河內の水害多きより文珠の經文より選んで高知と改めた、如珊は東川村長谷寺が中世甚だしく荒廢せしを中興し法燈永く今日に及ばしめし人である。長曾我部元親は永禄元年金光明四天王護國寺の金堂を修築し永祿十年十月には本山茂辰の兵亂に土佐神社の火炎に罹りしを薆ぇ工事を興し元亀二年春竣工した。又吾川郡長濱村に出陣を祈る爲め若宮八幡を改築した。更に天正二年には西豊永村豊樂寺の大風に破壤せるを修築せしを始め國内到る處の神社佛閣の再興に努め間接に美術の發達に資してゐる。 山內忠義公は寬永三年土佐神社の樓門を、慶安二年には鼓樓を改築し、寬永九年には潮江天滿宮を修理し、寬永廿一年には竹林寺の文珠堂を再典し、承應二年には金光明四天王護國寺の本堂を修築し、明暦元年には同寺の仁王門を再輿し、寬文年間には金剛副寺の仁王門、鐘樓等の寺堂を再典し又高岡郡浦ノ內村なる嗚無神社を改築し其の他國內の主要なる社寺が戦国以後荒廃せしもの多かりしを全國內に涉りて再建に努力し其の規摸忠義公にょり始めて完備するに到り美術建築に非常なる 貢献を爲してゐる。

古瓦

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